宇沢弘文記念フォーラムを聴講してきた

このブログのメインコンテンツは技術ブログであり、ふだんの活動とかは別の同級生ブログに書くようにしてるのだけど、最近ほかの人の投稿がないので、調整のためこちらに書く事にする。

本日あった故「宇沢弘文」先生のフォーラムに行ってきた。
宇沢先生は鳥取県米子市出身の世界的数学者・経済学者である。自分は直接はお会いしたことはないのだけど、情報技術を扱う仕事をしていたので、主に地元出身の数学者として興味を持っていた。
そんな先生をかつて取材したNHKプロデューサーの日置一太氏、経済学者として交流のあった神野直彦氏のセッションの後、長女の占部まり氏をまじえた3名のパネルディスカッションという構成。

まず日置氏のセッションでは、NHKの取材映像や、東京外大での講演の映像 (宇沢弘文と語る‐経済学から地球環境、日米安保・沖縄まで[映像ドキュメント.com])をまじえつつ紹介。
シカゴ大時代の同僚・ライバルであるフリードマンが唱えた、マーケットになるべく任せるという説を実践して国家の破滅に向かった南米のアルゼンチンの例を紹介し、宇沢との違いを浮き彫りにした。
かの地ではたとえば医療や電気、水といった公共性の高いサービスも私企業に売り渡された結果、たとえば病院には大金がないと行けないし、わずかに残っている公立病院では麻酔なしで手術を行い、消毒薬がないため喫茶店でコーヒーについてくるスティック砂糖で消毒し、抗生物質や薬もない、といったことが日常となっているそうだ。同様に電気や水も平気で止まることになる。
あとはブッシュ政権が進めたパックスアメリカーナに対しても宇沢は批判し、小泉政権地方交付税を廃止し、その結果地方に大きな赤字が残ったことについても怒っていたようである。後で占部さんがおっしゃってたけど、宇沢は導火線が短いようで、そんなエキセントリックな宇沢をコントロールしていた奥様は、わざと地雷を踏んで爆発させたりしたそうで、大変ほほえましい夫婦のやりとりである。

つぎに東大の後輩でもある神野先生の基調講演は、5月にも米子で講演されたようで、宇沢からの手紙の紹介などを交えながら、とても熱っぽく(脱線したり、背景を詳しく語ったり)お話しされた。はっきり言うと経済学に不安内な私にとっては圧倒的に前提知識が足りないため理解はおぼつかないのだが、簡単に紹介する。

まず宇沢にとって学ぶということは、単に知識を学ぶことではなくて、実際に自己が「生きる」ことと結びつけるということであるということ。
宇沢の哲学としては
・生命主義
・共生主義(人間同士だけでなく、人間と自然との共生)
・参加主義
というものが根底にあるそうだ。
で時代背景としては、JSミル、ジョンデューイが作ってきたリベラリズム思想を元に、Sヴェブレンが作った経済学の制度主義に沿っているそうである。

つづいて神野氏の雑誌寄稿に対する手紙から、宇沢先生の考えを紹介された。リーマンショック前のグローバル経済華やかなりし頃に「民主主義はローカルなものである」「トリクルダウン効果を信じるのではなく、ファウンテン効果を提唱することでグローバル経済に対抗する」といった論にたいして宇沢から好反響を得たそうだ。

また宇沢の人間観について、コモンズという概念に重きを置いており、人間の利己的な部分ではなく関係性を重要視した財政学、そのうち制度主義という立場をとっているそうだ。
ただここでは日本社会が崩壊してきていることを引き、家族と一緒にいることが「ストレス」となるファミレス社会(樋口恵子氏が命名)の現代社会の中で、国家を家族のようにしていこうとする「スウェーデンモデル」を紹介する。
たとえばかの地では、自然享受権という概念が慣習法として定まっており、自然は公共のものなので自分の私有地に看板を置いたりすることも勝手にはできないそうである。日本では他人の家の柿を勝手に食べたりすると怒られるのだけど、スウェーデンではこの自然享受権により阻害されないということだ。あまり納得はいかないけどそういうことだそうだ。

あとは宇沢が「癒しのコモンズ」として重要視した医療について、医者と患者は店と客ではなく、悲しみの分かち合いとして共同作業を行うものと述べた。そうした哲学に基づき、医療改革について目的と結果を取り違えないことを訴えられた。

これについてはまったく別の論([:title])が現代の文脈として刺さるものがある。