父として、娘に好きな人ができた時のやるせない気持ちを、プリキュアを見て考えてみた。

新年あけて勉強会の参加postが続いていましたが、先日のプリキュアを見て多少心がゆれているので、目先の変わったpostになりそうです。
そんなに繊細なところのない私にも、繊細な恋心を抱いた時期がありました。小学生時代の淡い憧れ的な恋心から、色々と複雑な恋心を抱くようになった中学生時代。そして恋愛に向かいたい気持ちを抑えて勉強にスポーツに明け暮れた高校生時代。そして自立と自由のまっただ中、大人や家庭への憧れを持っていた大学生時代。それぞれの時代にそれぞれの恋心がありました。
で現在はアラフォーのオッサンとなり、2人の娘と1人の息子の父親になりました。一番上の長女が小4なのですが、好きな人を聞いても父には教えてくれないフェーズに入りました。下の娘と一緒に入っている風呂に様子を見に行くだけでも「ヘンタイ!」と叫ばれる始末。。

で11/2(日)のプリキュアを見てて、思いもよらず父としての感情を揺さぶられました。
悪者役のキングジコチューとレッジーナとが父と娘のペアー、父親が娘に対しこうあって欲しいという思い、よくわかります。私も理性的には、娘は他の人格であってそれを認めないといけないのは理解しているつもりですが、小さい頃初めて抱いた壊れそうな存在だったことや、成長過程の色々な記憶(良いことも悪いことも)を共有しているので、なかなか切り替えることができません。
その上でTwitterのTLを見ていると、レッジーナプリキュアとの友情というか愛情に芽生え、いつしか愛する父以外の存在を愛してしまうことになるのでした。うがった見方かもしれませんが、大方の解釈に乗ってガチレズであるという前提で話しを進めます。当日の私のツイートを引っ張ってきます。

まぁ日本人は事なかれ主義で、外圧があると行っても言語の壁などに阻まれて、基本的には国内ではほぼ日本語だけで通じるでしょう(方言の問題はありますが)。
私も仕事の関係でセキュリティホール memoをウォッチしていた頃、みやきち日記というブログで同性愛とかLGBTという概念を知り、また勉強会などに参加する中で、そうした方々とも実際に交流するようになりました。